とろとろ

早歩きでしたが、最近はとろとろ歩いています

3.11から考える「この国のかたち」/赤坂憲雄

現在の「東北」は、50年後の日本である。

 

帯に書かれていたこの一言でつい手にとってしまった。

2012年9月に発行された本で、ちょうど3年前になる。

 

 

3・11から考える「この国のかたち」―東北学を再建する (新潮選書)

3・11から考える「この国のかたち」―東北学を再建する (新潮選書)

 

 

 

 

人口減少社会で50年後には、1億2千万人もの人口は8千万人になると言われている。

現在の日本の姿は1億2千万人もの人口だからこそ、できた国。

単に被災前の姿に戻すような復興をしてよいのかということを問いかけた内容でした。

  

・東北はものづくりの大切な拠点とされていたのに

 雇用の場の少ないムラでは時給300円という現実がある。

三陸の文化復興のために本を集める遠野の図書館再建プロジェクト

・ふくしまは果たして終わったのか

 

被災地を回るうちに被災地のあちこちで瓦礫の海の中に鳥居が立っている様子や

ムラの少し高台にある鎮守の社だけが残っている姿にも繰り返し出会っていて

ダム建設で移転したムラや分村で入植する開拓村で、人々が真っ先に考えるのは

以前のムラから鎮守の神様を移して祀ること。

家が建てられ、道路ができて、インフラが整うから新しいムラが始まるわけではない。

土地を守っている神様とのつきあいや先祖とのつながりをどのように維持していくか

地域のコミュニティにとってなによりも重要なこと。

神や仏の座をどのようにデザインするかが地域づくりの隠れたテーマになる。

  

人間がそこに暮らしているから、津波は結果として災害を引き起こす。

天災と人災を分けているが、人の暮らしていないところで地震津波が起こっても

災害にはならない。災害という考え方が人間中心的な思考の所産。

 

この地震津波によって、20年か30年かかけてゆるやかに

起こるはずだった変化が一気に目前の出来事となる。

これまで1億2千万人の人口で、人が自然を押し戻していたが

この先、人口が減少していくと人間の生活圏を深く犯してくる。

ムラと里山の境界が曖昧になり「山が攻めてくる」ことになる。

 

メディアを通じて、海とともに生きてきたから海のそばで生きたい

高台には移住しないという人たちの声が伝わっているものの

その声が必ずしも一般的だとは限らない。

たまたま選んだ住宅街が海辺にあり、さほど遠くない過去の時代に

そのまちが海であったことを知らない人がいる。

渚や浜辺が生と死の境界であるという感覚が、リアルに住民全員に

共有されているわけではない。昔からそこに住んできた人たちだけが

獅にゃ津波の恐ろしさを知り、語り継いできた。

備えることを知らない新来の人たちが津波の直撃を受けた。

近代そのものがむき出しに問われている。

自覚しないままに、まったく無防備に海へ海へと

せり出すように暮らしの場を広げてきた。

 

 

元は水田が広がっていた場所も津波の影響で、泥の海と化した南相馬市

この泥の海をいかに復興するか。

 

瓦礫を撤去し、排水施設を整備し、塩抜きを行う。圃場整備を行う。

復旧事業には、莫大な資金と労働力、時間が求められる。

更に福島第一原発の近くにあり、放射性物質の除去という困難な課題がある。

5年、10年の歳月を費やし、やっとのことで水田が復旧したとしても

そのときそこを耕す人は存在するのか。風評被害を払拭して、米に買い手がつくか

高値で売れるのか。様々な困難が考えられる。すでに農業従事者も高齢化している。

 

必ず3.11の直前の風景の再現である必要はない。

 

 昔、そこにあった潟の風景へとやわらかく回帰するシナリオでもいい。

潟環境を再生するプロセスのかたわらで、風力発電太陽光発電などの

再生可能エネルギーのファームとして利用することもできる。

 

山野河海という広大な自然の領域を分割し、個人の所有に帰してきた近代の開発の理論が、限界をさらしているのではないか。人と自然との境界領域を根底から再編することが求められている。