とろとろ

早歩きでしたが、最近はとろとろ歩いています

限界集落の真実―過疎の村は消えるか?

半年以上放置(存在すら忘れていた)していたこのブログも久々に更新するとします。

 

最近、初めて地元の図書館を利用しました。ぶらぶら館内を回っているうちに、大学生の頃に、こんなテーマに関係する論文書いたなと、つい手を伸ばしていました。

 

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

 

 

 

”過去7年間(2000年から2007年)で過疎地域だけで191の集落が消えた”

国土形成計画策定のための集落の状況に関する状況把握調査」より

 

限界集落という問題は2007年の衆院選の時期から、政治・行政、マスコミによって、つくられた問題であって、 191の集落全てが限界集落を経て、消滅したわけではない。ダムや工事、集団移転事業、自然災害が含まれている。

 

鹿児島県大隅半島のある町の事例では

戦後に無理をして開拓した村で、古くからのまとまったむらが解消したという例は少ないことを述べていた。

 

限界集落をなぜ残さないといけないか

公的資金を投入してでも、条件不利な地域から便利な土地に住み替えてもらったほうがよいのではないか

 

などと、経済の効率性の面だけで問いなおす立場の人には

 

・自分の地域は今後も存続するつもりで、努力もする

・この地域が好きだから応援したい

 

と回答するだけでいいと筆者は言っている。

経済的な効率性から地域を問い直す立場は、数ある価値の中の1つの立場にすぎないので、こちらも特定の価値を表明した回答であれば、同列だろうとのこと。

 

経済性だけで考えると、不治の病にかかっている人の延命治療は無駄になる。(勿論、人の命あるいは医療と限界集落の問題を同列におくのが完全に正しいと思うわけではないと筆者は言っています)延命治療においても、最終的に決定するのは医師でも世論でもマスコミでもなく、当事者やその家族である。この考え方を地域に当てはめたうえでの回答。

 

高齢地域になっている山間地域の多くは、広域的な市場経済の規模で考えなければ 、狩猟と農耕をベースに自給自足を実現していた地域で、本来は経済的に効率の良い地域。効率が良いからこそ、切り拓かれて村になった。

 

政治・マスコミ等により、過度に限界集落や消滅集落と煽られており、誤解がされがちで、この問題の実態が見えていない。一方で、単に限界集落は存続していくというわけではなく、引き続き注意していき、対策をねる必要があると述べています。

 

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貸し出し期間が2週間もあったにも関わらず、仕事が思いの外忙しく、本を読む余裕がなかなかありませんでした。後半部分なんか特に駆け足で、しかも途切れ途切れ読んでいたせいか、印象に残っていないのが悔しいです。また時間をおいて、ゆっくり借りなおして読みたいと思います。