朝めし/スタインベック
スタインベック短編集の中の1つ。
5ページ分しかないほどの短さ。
大学の英語の講義で取り扱われていた記憶がある。
その講義の担当の先生が好きではなく講義自体に良い思い出はないけど、
この作品だけはなぜか覚えてる。
と言っても、覚えているキーワードは「ベーコン」で
山の上で美味しそうなベーコン(朝食)を食べてたな。その程度です。
最近、本屋さんでこの本を見つけて「どこかで聞いたことのある人の名前だ」
そう思って開いてみたら「朝めし」(当時、覚えのあるタイトルは”Breakfast”)を見つけた。
そのとき読みたい本もなく、せっかく手に取ったからとつい買ってしまったものの
何かと忙しくて、開くことなく本棚に眠ることになりました。
こんな自分の頭でも思い浮かべられるほど、何気ない日常のようなものが
鮮明に書かれてて心地よいなというのが、初めて英文で読んだときの感想でした。
今日、改めてこの本で朝めしを読みました。最後に
それだけのことなのだ。もちろん私にも、なぜそれが楽しかったのか、理由はわかっている。そこには、思い出すたびにあたたかい思いがこみあげてくるある偉大な美の要素があった。
と締めくくられていて、この短編集の終わり方ってこんな感じだったんだと思った。
生憎にも、終わり方を一切覚えてなくて、適当にボケっとしながら
講義聞いてた自分が情けなくなる
どこかの山の中で会った一家と過ごした何気ない朝食の時間に
偉大な美の要素を感じて、それを紹介してる話だったんだと今更ながらわかりました。
赤ん坊を授乳しながら、ベーコンをいためてパンを焼く若い女性、一家と交わす何気ない「おはよう」という挨拶や、たまたま朝食に同席し、口いっぱいに頬張る男達、熱いカップのコーヒー、そして食べ終わり、立ち上がり仕事に出かけると。
この朝食のひとときを経て、
濃い藍色の山々を夜明けの日差しがふちをいろどっている寒い時間から
空気が山の端から射す光にあたためられ始める時間まで経過していく。
赤ん坊が母親の乳を吸う描写や、服を新調したことを伝える若い女性、パンの匂いがして「こいつはたまんねえや」、朝食を食べながら「こいつはうめえや」など一々言うところ。がつがつ食べて、お代わりをして。
そんな当たり前なごく自然なところに惹かれたんだろうな。
個人的な話になるけど、そんな当たり前とも思われる朝食の時間を過ごしてないので、読むと少し羨ましさを感じる。きっと、この作品の中の「私」も誰かと朝食の時間を過ごすことのない環境にいる。うん、家族いないな。